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marraskuu 12, 2004

■もともとなんで広告屋になりたいのかって話。

・政策プランナーを目指して大学に入学したものの、深夜のコンビニバイト週33時間休憩ほぼなしでボロボロの思考能力皆無になって留年した春の日、八重洲ブックセンターで広告批評を手にした。1999年4月号、特集は「TOKYO POP」。芸術とかオシャレとかそういう分野には縁が全くないと考えていた僕には、広告という接点からこうした分野に触れるのが新鮮だった。以来、毎号講読するのが楽しみになっていた。そのうち、友人から文章を書く仕事に向いてると言われたのがきっかけで、コピーライターという仕事を意識し始める。生徒会で演説してたのや浪人のときに小論文で1位や2位とってたのも一因かもしれない。レストランのアルバイトの面接で、将来は広告代理店に就職したいと言っていたがここでもまだ漠然とした話。コピーライターといえば当時も糸井重里で、赤城山で埋蔵金を掘ったり、よくわからないゲームのシナリオを書いたりする仕事だと思っていたので、あんな風には絶対になりたくないって思っていた。

・他に目標もないのでなんとなく単位を取ることだけを考えていたが、サークルで広報を担当、いろいろやってみるが力不足を感じて、自分の力を試してみたいのもあって、広告学校に通うことにした。決して誉められた成績ではなかったがなんとか修了、コピーライターになるってことにしてホームページ作ってみた。たぶんこれが直接のきっかけ。小3と中2の読書紹介文、小4のコマソン、小6の深夜ラジオと放送委員会、中学校での生徒会、佐藤雅彦のフジテレビ「ロイド」や大貫卓也のとしまえん「史上最低の遊園地」、前田知巳の宝島社「おじいちゃんにも、セックスを。」などなど細々とした小さなきっかけをよく覚えている、それがここに来て花開いたという具合だろう。(こういうのはひと言ふた言では済まないので、就職活動のときに説明するのにすごく困る。他人事みたいだが。)それ以降の生活は、なんとなく広告制作者になるために組み立てていた。
・もっともらしいことを言うつもりは、もう、ない。

・以下、余談。就職活動はむしろ「コピーライターになる前にサラリーマンの喜怒哀楽を知ったほうがいいだろう」という軽い気持ちであたりかまわず受けたのがそのままよくない結果に出たようだった。コピーライティング以外の活動を中心にしていた3年次が反目、コピーライターや企画をするにはそれらしい自己PRを大学5年間では書けなかった。新宿のバーで働きながら大学院に行って哲学でもやろうと思っていたところ、ライターのバイトの面接で履歴書をボコボコに言われ、意気消沈。その夜やはりバーの客に似たようなことで叱られる。いま思えばずいぶんと失礼な人たちだ。やつらの言うことにいちいち気にしなければよかったものを、やはり言わせておくのも悔しいので、これをきっかけに社会人をしばらくする、大学院には行きたくなったら行くと思うことにした。仕事をするならコピーライターをしたい。それでインターネットで検索したら、東京コピーライター養成講座にヒット。そのとき案内でもらった小冊子を見て、やっぱりコピー書けるかもしれないとか思ってしまい、いろいろ検討した結果、ビデオ補講もあった宣伝会議に通うことにした。途中別の事情も含めて気を病んだりしながら、気がつけたのはいかに己が努力できない人か、ということ。それでも修了できたので、もうこうなったら逆にコピーライターの仕事を探すほうがわかり易いことに気がつき、結果、とりあえず名乗りながら仕事を探してこうなっている次第。一流にはなれないと思うが、一流になろうとか思わないでいろいろ仕事してるうちに上手になれたらいいなーと思っているので、熱意とかやる気を見せてくれとか、好奇心がどうのこうのとか言ってくる人は基本的に信用しないようにしている。そんなのは、太陽が光や熱を放出するようにできる人だったら、そうしてればいい。ぼくは無理矢理そういうふうにしてみたけど、どうやらそういうのではないようだ。

投稿者 shoshirock : 12.11.04 05:36

コメント

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投稿者 owlcnvxbsf : 06.12.07 21:08

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